京都大学人文科学研究所パンデミック研究プロジェクト

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このページでは、市民・大学のネットワークを通じて、全国の学者や市井の人々から情報を提供していただいた資料、これまでの先駆的な研究が収集した資料、私たちのプロジェクトで収集した資料などを、広く市民が使用できるようにご提示する予定です。

健全学 六
1867(慶應3)年

 「開成所」教授・杉田玄端が、オランダ語の小冊子『Eenvoudige Gezondheidsleer, een boekjo voor allen』(J.. de ruyyn opsJ.H. Gebhard & co.1856年)を全文訳出した6冊本。「Gezondheidsleer」(玄端の訳語では「健全学」)の要点を、14章で順に説く。

 最終章の第14章では、個人的な「健全」だけでなく、衆人の「健全」をも考える学問としての「ヒギエネ」(原語は「hygiene」、玄端の訳語では「公行健全学」)も紹介する。そこにのる数々の施策は、日本でも後年、「公衆衛生」として周知・実施されてゆく。開成所では、長与専斎の米欧視察よりも早く、西欧での「(公衆)衛生学」の興りを捉えていた。

健全学 五
1867(慶應3)年

「開成所」教授・杉田玄端が、オランダ語の小冊子『Eenvoudige Gezondheidsleer, een boekjo voor allen』(J.. de ruyyn opsJ.H. Gebhard & co.1856年)を全文訳出した6冊本。「Gezondheidsleer」(玄端の訳語では「健全学」)の要点を、14章で順に説く。

 最終章の第14章では、個人的な「健全」だけでなく、衆人の「健全」をも考える学問としての「ヒギエネ」(原語は「hygiene」、玄端の訳語では「公行健全学」)も紹介する。そこにのる数々の施策は、日本でも後年、「公衆衛生」として周知・実施されてゆく。開成所では、長与専斎の米欧視察よりも早く、西欧での「(公衆)衛生学」の興りを捉えていた。

健全学 四
1867(慶應3)年

 「開成所」教授・杉田玄端が、オランダ語の小冊子『Eenvoudige Gezondheidsleer, een boekjo voor allen』(J.. de ruyyn opsJ.H. Gebhard & co.1856年)を全文訳出した6冊本。「Gezondheidsleer」(玄端の訳語では「健全学」)の要点を、14章で順に説く。

 最終章の第14章では、個人的な「健全」だけでなく、衆人の「健全」をも考える学問としての「ヒギエネ」(原語は「hygiene」、玄端の訳語では「公行健全学」)も紹介する。そこにのる数々の施策は、日本でも後年、「公衆衛生」として周知・実施されてゆく。開成所では、長与専斎の米欧視察よりも早く、西欧での「(公衆)衛生学」の興りを捉えていた。

健全学 三
1867(慶應3)年

「開成所」教授・杉田玄端が、オランダ語の小冊子『Eenvoudige Gezondheidsleer, een boekjo voor allen』(J.. de ruyyn opsJ.H. Gebhard & co.1856年)を全文訳出した6冊本。「Gezondheidsleer」(玄端の訳語では「健全学」)の要点を、14章で順に説く。

 最終章の第14章では、個人的な「健全」だけでなく、衆人の「健全」をも考える学問としての「ヒギエネ」(原語は「hygiene」、玄端の訳語では「公行健全学」)も紹介する。そこにのる数々の施策は、日本でも後年、「公衆衛生」として周知・実施されてゆく。開成所では、長与専斎の米欧視察よりも早く、西欧での「(公衆)衛生学」の興りを捉えていた。

健全学 二
1867(慶應3)年

「開成所」教授・杉田玄端が、オランダ語の小冊子『Eenvoudige Gezondheidsleer, een boekjo voor allen』(J.. de ruyyn opsJ.H. Gebhard & co.1856年)を全文訳出した6冊本。「Gezondheidsleer」(玄端の訳語では「健全学」)の要点を、14章で順に説く。

 最終章の第14章では、個人的な「健全」だけでなく、衆人の「健全」をも考える学問としての「ヒギエネ」(原語は「hygiene」、玄端の訳語では「公行健全学」)も紹介する。そこにのる数々の施策は、日本でも後年、「公衆衛生」として周知・実施されてゆく。開成所では、長与専斎の米欧視察よりも早く、西欧での「(公衆)衛生学」の興りを捉えていた。

健全学 一

「開成所」教授・杉田玄端が、オランダ語の小冊子『Eenvoudige Gezondheidsleer, een boekjo voor allen』(J.. de ruyyn opsJ.H. Gebhard & co.1856年)を全文訳出した6冊本。「Gezondheidsleer」(玄端の訳語では「健全学」)の要点を、14章で順に説く。

 最終章の第14章では、個人的な「健全」だけでなく、衆人の「健全」をも考える学問としての「ヒギエネ」(原語は「hygiene」、玄端の訳語では「公行健全学」)も紹介する。そこにのる数々の施策は、日本でも後年、「公衆衛生」として周知・実施されてゆく。開成所では、長与専斎の米欧視察よりも早く、西欧での「(公衆)衛生学」の興りを捉えていた。

虎列剌病予防法図解(これらびょう ふせぎのわけ)
1877(明治10)年

1877(明治10)年、明治期最初のコレラ流行に際して、行政手続きを定めた「虎列剌病予防法心得」(内務省達乙第79号・全24条、以下「心得」)が布告されたのをうけ、日常生活に関する注意事項を絵入りでまとめた刷り物。8項目より成る。

 内容は、一部「心得」(患家との往来の禁止・居住場所の清掃)の条項とも呼応するが、全体的には衣食住全般わたる身体の養生を勧めている。